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●昨年8月12日午後5時すぎ、ちょうど日航ジャンボの墜落から14年、私は618号室で、間もなく開かれる「北区の戦争展」に出品する切り絵を制作中でいよいよ最終の仕上げに近づいていました。隣の部屋からクーラーの冷気がくるように、部屋を閉め切って作業をしていて、外の騒ぎや消防車のサイレンにさえ気がつきませんでした。
隣の619でベランダのサッシ戸を開けて昼寝をしていたので焦げ臭いのに気がついたようです。 ●ベランダの手摺から上を見てもなんともありません。ところが反対側の玄関ドアを開けて廊下に出ると、どす黒い煙が真上の部屋から大量に出ていました。すぐに我が家の消火器をつかんで階段をかけあがると、718号室のドアが開け放たれ、そこからもうもうと黒煙が。近所の女性が数人いる中に、10才位の小柄な少年が、Tシャツと半ズボンをススだらけにして、裸足で泣きじゃくっていました。 ●ドアの前には、共用の大きな消火器が何本かならんでいました。ちょうどそこに外階段から上がってきた耐火服と酸素ボンベの消防士が一人、駆けつけて、中を伺っています。彼は、我われが見守る中をいったんは中にとびこみましたが、すぐに転がり出るように戻ってきて、ゴーグルのようなものを外してちらっとこちらをみました。 ●私はこの時、消防士だって人の子なんだと痛感したのです。彼は「どうして俺だけこんな所に」という顔をしていました。私はすぐに、駐車場の方に走っていき、廊下から、「消防士さん一人ではどうにもなりません。応援をよこしてください。」と声をかけました。したの駐車場では消防車がきていて消防士数名とうちのマンション住人が何か話していました。 ●後で判ったことは、この時、はしご車をのばして放水してくれと頼む住民に、駐車場の地面に傾斜があって、それができないと説明しているところだったようです。 ●しかもこの前後に、各階にある消火栓の口に消防士がホースを填めようとしたところ、差し込み口が合わなくてそれもできなかったようです。 ●結局その後、消防車から直接ホースを7階まで上げることになったものの、7階から紐で釣り上げるのに失敗したりで、火災住宅の玄関側から放水が始まったのは出火から20分以上たっていたでしょう。 ●その間に大きな悲劇がありました。出火元は母子世帯で、買い物にいっていたその母親が、携帯電話でだれかが知らせたらしく、小さなビニル袋だけもって戻ってきたのです。彼女は一番下の子供さんが中に取り残されていると叫んで、飛び込もうとしたのでみんなで腕をとって抑えました。 ●下の子を何とかせねばと、私たちは、隣の部屋に入らせてもらい、ベランダから出火の部屋を覗きましたが、もうベランダサッシの下のガラスが割れて炎がはげしく吹き出していました。熱さで近くに寄れず、とても入り込める状態ではありません。気がつくと、そこに母親も来て泣き崩れていました。 ●ちょうど本格的な放水が始まりました。そこで思い出したのが、下の我が家への消火水の漏水です。 私は娘と一緒に我が家の家具に、とにかくかけられるものをかけていきました。どこかの車のシートとか、ビニールの敷物とか、自治会の防水テントなど次々集まりました。
●実際はそれから間もなく、天井のあらゆる箇所から黒っぽい焦げたようなお湯が、土砂降りのように降り出し、一昼夜続きました。壁という壁は、水が流れ、窪みという窪みにたまりました。 ●夜七時ごろ、ベランダ側から竜のような二つの光をもった長い首が我が家を照らし、やっとはしご車が配備されたのに気がつきまいた。わたしは、ひたすら床を這いまわって水たまりをかきだしていました。火元の家から障害をもった子供さんの遺体が運び出されたことを、後で知りました。 体験的マンションレポートへ ツッコミ運動録へ そね都議活動 |