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2003年11月18日文教委員会
「日の丸・君が代おしつけの実施指針を撤回し、子どもが主人公の卒業や入学式を」

○曽根委員 最後に、学校の中での日の丸と君が代の扱いの問題について、先ほどもどなたか質問がありましたが、幾つか聞いておきたいと思います。
 先ほど話にもあったように、これまでにも、九九年ですか、実施指針が出されて、明らかに指導要領が規定している範囲を超えた、具体的な日の丸、君が代の扱いについての指針が出されてきています。
 今回もまた、さらに踏み込んだ、国旗はここにかけろとか、生徒は正面に向かって並ばせろとか、教員の扱いその他についても踏み込んだ規定が盛り込まれました。
 三年前に、我が党の西田みよ子議員、当時、文教委員会で質問しまして、これが都の教育委員会としては実施が望ましいものであるというふうに、当時、指導部長、斎藤さんでしたよね。というふうに答弁があったんですが、強制ではないということを明らかにしてきました。

 しかし、今回は、さらにその指導の中身は非常に強制的なものになっています。
 このとおり、もし実施されれば、子どもたちの座り方や、起立、斉唱まで、細かく規定をされて、まさに子どもたちの内心の自由を侵す、国旗、国歌についての特定の価値観を押しっけるというものにならざるを得ないというふうに、私は全体を見て率直に思うんですが、いかがでしょうか。

○近藤指導部長 学校教育におきます国旗及び国歌に関する指導は、学習指導要領に基づき、児童生徒に国旗や国歌の意義を理解させ、それらを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗や国歌に対しても同様に尊重する態度を育てるために行っているものでございます。
○曽根委員 それでは、指導的なものであって、内心の自由を侵すものではないということですか。

○近藤指導部長 先ほども申し上げましたが、学校における国旗、国歌の指導は、あくまでも教育指導上の課題として指導しているものでございます。

○曽根委員 内心の自由については直接お答えないんで、どうも怪しいんですけれども。
指導要領では、入学式だとか卒業式について、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを指導するものとするとのみ規定して、扱い方までは規定しておりません。
 仮に国旗、国歌を卒業式などで指導するとしても、どういうやり方をとるかは、学校長を初め現場の先生や生徒、父母が納得のいくやり方を考えることができる余地は、学習指導要領には十分にあるわけです。

私たちは、この学習指導要領に国旗、国歌の指導を盛り込むこと自体にも非常に疑義を持っていますが、それにしても、これで今回の指針のような内容まで規定するということは、指導要領の中でも書いてないわけです。明らかに指導要領からはみ出して規定がされているということではないでしょうか。

○近藤指導部長 入学式、卒業式につきましては、学習指導要領に示されました特別活動におきます学校行事の中の儀式的行事に位置づけられております。
 この儀式的行事は、学校生活に有意義な変化や折り目をつけ、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の転換への動機づけとなるような活動を行うことと示されているわけでございます。今回の通達は、この儀式的行事の目的を達成するために行ったものでございます。

○曽根委員 都の教育委員会のいう儀式らしい形をとらせるというそちらの主張のために、教育の場としてはふさわしくない無理強いや、子どもをないがしろにする事態が懸念されているわけです。

そのことに入る前に、先ほどの質問の中で、入学式や卒業式以外の学校行事、指導部長は儀式的行事とおっしゃいましたが、その規定については、これは文部省から、学習指導要領の解説の中で、別の扱いについての規定が出されていると思いますが、ご存じですか。
ご存じと思いますが、紹介してください。

○近藤指導部長 東京都教育委員会では、学習指導要領に基づいて卒業式、入学式等を行っているわけでございます。あくまでも解説書は学習指導要領ではございません。

○曽根委員 そこまで厳密におっしゃるなら、小学校も中学校も同じですが、学習指導要領の文部科学省が出している解説、この中で明確に、始業式、終業式、運動会、開校記念日に関する儀式、これについては国旗掲揚、国歌の斉唱を行うかについては、規定が違いますよね。これは確認してください。

○近藤指導部長 そのとおりでございます。

○曽根委員 どうも何か時間がかかりそうな感じがしますが、私が紹介しますが、こういうふうに明確に規定されているんですね。「入学式や卒業式のほかに、全校の生徒及び教職員が一堂に会して行う行事としては、始業式、終業式、運動会、開校記念日に関する儀式などがあるが、これらの行事のねらいや実施方法は学校により様々である。
 したがって、どのような行事に国旗の掲揚、国歌の斉唱指導を行うかについては、各学校がその実施する行事の意義を踏まえて判断するのが適当である」と、明確に、ここでは国旗、国歌の指導を行うということが、要するに厳密な規定をされてないで、学校の判断でいいよとなっている。
 私はこうした考え方は、指導の中身についてだって、学習指導要領で指導するとあるが、中身はそれぞれ学校で実情を踏まえてやってくださいよという文部科学省の少なくとも考え方が、ここにも反映されていると思いますが。
すると、この規定からいうと、今度の実施指針が入学式、卒業式以外にも適用されるんだということは、明らかに文部科学省の見解とは違うわけですよね。見解と違っても、あえてやるということですか。

○近藤指導部長 先ほどから申し上げているところでございますが、卒業式、入学式等周年式典、開校式、落成式等は、学習指導要領の特別活動の学校行事の中の儀式的行事として位置づけて実施しているものでございます。

○曽根委員 ここは大事なところなので、とぼけないで答えてほしいんですが、入学式、卒業式以外の学校行事について、文部科学省は明確に、日の丸、君が代を国旗、国歌として指導するかどうかは学校の判断でいいと。
 つまり、教育委員会が指針をつくって一律に指導するということにはなじまないという判断が明確に出ているんですが、これについて明らかに見解は矛盾するんですが、矛盾して構わないということなんですか。
○近藤指導部長 入学式及び卒業式等における国旗、国歌の指導は、学習指導要領に基づいて行うものでございます。

○東委員長 ちょっと記録をとめてください。
〔速記中止〕
○東委員長 はい、議事録、再開。

○曽根委員 じゃ、改めて聞きます。
文部省の指導要領そのものではありませんが、文部科学省が編成した指導要領解説による、入学式、卒業式以外の学校行事における国旗、国歌の扱い、この規定が今度の実施指針と矛盾すると思いますが、いかがですか。

○近藤指導部長 文部科学省が著作しております学習指導要領の解説については存じてございます。私どもは、現在、学校における卒業式、入学式における国旗、国歌の指導等につきましては、あくまでも学習指導要領の特別活動の中の学校行事、儀式的行事に基づいて、その目的を達成するために行っているものでございます。

○曽根委員 結局、入学式、卒業式とそのほかの行事を特別活動として一緒くたにして、それは目的達成するためには部数委が指導していいんだということで、明らかにこれは国の方針の逸脱。それを幾ら指摘しても認めないけれども、否定もできないでしょう。これは明確なんだから。そうですよね。
 こういうことをやっていると、もう政府見解なんかどうでもいいということになってくるわけですよ。実際、そういうふうになってきているわけです。
 私は、そういう都教委の態度が、子どもたちにどういう問題をもたらしているかということをきょうはやりたかったんですが、もう時間が余りなくなってきたんですが、例えば、肢体不自由の養護学校の先生方の話を聞くと、子どもに起立、斉唱させる、壇上に上がらせて卒業式はやれというようなことは、実際、できないんだと。
 子どもを抱え上げてやる。子どもに身体的な、何というんですか、逆にいうと、無理なことをやらせないとできない。
 そういうことが、ある学校では先生方に現に強要されている。これで教育なのかという声がありました。養護学校まで、一律、機械的にこういうのをやらせるというのは、どうなんですかね。それは全くその余地がないんですか。

○近藤指導部長 学習指導要領に基づく指導は、障害がある児童生徒に対しても、障害のない児童生徒に対しても、すべて等しく行われるものでございます。しかし、障害の程度によっては、起立ができない児童生徒や、また、壇上に上がることが困難な児童生徒もいることは承知しております。
 起立ができなかったり、壇上に上がることができない児童生徒については、その児童生徒の障害の状態や特性などを考慮して、学校長が判断するものであると考えております。
なお、入学式、卒業式は、児童生徒にとって晴れの舞台でございます。すべての参観者が子どもの晴れの姿を見守り、子どもたち一人一人の新しい生活への第一歩に誇りを持たせ、勇気づけたりする式典であってほしいと願っております。

○曽根委員 指導部長からそういう最後の言葉が出るとは思いませんでしたよ。それだったら、こんな通達なんか出やしないはずなんだ。

 それから、もっと重大な問題が、例えば都立高校、これから卒業式をやろうとしているわけですね。都立高校生というのは、もういろんなことを考える。当然、社会に対する認識だって、もう大人並みに持って不思議でない年代ですよ。
 そういう子どもたちが、例えば国旗に正対して座らせて、起立して歌いなさいと、生徒に指導することになっていますね。
 それは最初は指導かもしれない。しかし、本人が納得できないと。私は、思想、信条、自分の内心の自由を守るために、立って歌うことは拒否しまけと生徒が拒否した場合、ここから先は教育の問題じゃなくて、まさに一人の人間としての個人の自由の問題になりますから、内心の自由を保障するという国会答弁に立てば、それ以上の指導は校長先生や教員の方はできないはずなんですね。それは、この実施指針の中では認められているんですか。

○近藤指導部長 学校は、学習指導要領に基づきまして、教職員が児童生徒に対して教育をする場でございます。あくまでも指導という段階を積み重ねていただくことが原則であると考えております。

○曽根委員 日常の学習指導は当然行われるでしょう。しかし、卒業式というのは期限があって、その日当日しかないものです。
 その場に立っても生徒が、やっぱり自分の考えを持って、それは断るというふうにした場合は、これはもうその先、教育が、それ以上の、本人の自由を縛ることはできないはずです。
 しかも、内心の自由は、国放、国歌を法律で制定する際にも国会で明確に問題になって、当時の小渕総理大臣、そして当時の文部省の政府委員もこぞって、これは内心の自由は守りますということは約束したわけですから。
 それでもあくまでも指導して、何としても、無理やりでも指導して立たせるんだ、歌わせるんだというふうになるんですか。そうだとすると、国会の政府答弁をみずから破ることになりますが、いかがですか。

○近藤指導部長 卒業生について申し上げますと、教育というのは継続性をモットーにしているわけでございます。一年生、二年生、三年生、四年生、五年生、六年生、そして、中学一年生、二年生、三年生と行って、その指導の集約の場が、集大成の填が卒業式であるわけでございます。そうした指導を積み重ねてきても、生徒は起立をしないということであれば、それはやむを得ないことであると考えております。

○曽根委員 今の答弁、確認しておきますよ。生徒が、教育の場でいろいろなことを教わったけれども、最終的に、やっぱり自分は納得できないとした場合は、座って、歌わないということはあるわけですね。認めるわけですね。それは確認しておきます。

 それで、私、今回の指針の最大の問題は、卒業式、入学式、先ほど、指導部長のおっしやつたとおり、生徒の晴れ舞台であり、生徒の入学、卒業を祝う場なわけですが、それが最終的にだれのため、何のためにやるのかというようなものになりかねないということなんです。
 この学校における卒業式、入学式のあり方を最終的に決めていくのは、だれの責任と権限で行われるものでしょうか。

○近藤指導部長 学校の責任者であります校長でございます。

○曽根委員 私は単純に校長が最終責任だということにも若干の意見がありますが、しかし、それにしても、校長先生は学校のリーダーですから、先生方や父母などとも、私は話し合いが大いに必要だと思いますし、生徒たちの意見も取り入れられるような学校になってほしいと思いますが、しかし、最終的には現場の責任者である校長先生のもとで内容は決めていくんだと思うんです。

 ところが、今度の指針は、その決めるべき校長先生に対して、この指針を守らなければ処分しますということになっているんですよ。
 要するに、これは校長に対しても職務命令になっているんですね。今まではそれはなかったんですけれども、今度入りました。
 そうすると、校長のみずからの現場の責任者としての、子どもたちの実情や学校の実情、父母の皆さんの意見などを踏まえた裁量ではなく、やっぱり一律に、形を含めた都の教育委員会の指針に従わなければ処分されるということになるわけです。

 これはこの間の性教育の問題もそうですが、やっぱり学習指導要領に逸脱したということでもって、教育の中身で処分をかけるというような動き、今回もまた同じようなもので、まさに管理職である校長先生が、権限を拡大するとかリーダーシップとかいいながらも、実は都の教育委員会によってがんじがらめに縛られるということになってしまうということも、いっておかなきゃなりません。こういうことで子どもたちの実情に即した最適な判断ができるはずがないと思います。

 まず、こんなやり方をする前に、子どもたちに本当に国旗や国歌についてきちんと考えさせる場を与えることこそ、教育の役割だと思うんです。日の丸や君が代が国旗、国歌にふさわしいのかどうかということも含めて、冷静に歴史を学ばせることは、諸外国の例も含めて、そういう場が必要だと思いますが、これは当然行われなければならない教育の中身だと思いますが、いかがでしょうか。

○近藤指導部長 国旗、国歌の指導につきましては、学習指導要領に示されました社会科、音楽、特別活動等の目標及び内容に基づいて指導しているところでございます。今後も学習指導要領に基づきまして、児童生徒が国旗、国歌について正しい理解を得るよう、各学校を指導してまいります。

○曽根委員 日の丸、君が代を国旗、国歌と認めない人たちが、やっぱりたくさんいる。一方では、法律で決まってしまったからということで、どんどん行事なんかで強制的になっていくということは、私は非常に不幸な問題だと思うんです。
 国旗、国歌については、やはり冷静に、どういう判断でその国の国旗、国歌を考えるべきかという、それぞれの意見の違いや、そういうものを子どもたちにも知ってもらった上で、自分の判断をしてもらう、これが教育だと思うんですね。

 (「そんなこと言ってるのは共産党だけだよ」と呼ぶ者あり)

 私、さっきも「教育とは学び合いである」(自民党の委員の発言)と。そのとおりだと思うんです。先生たちだって、押しつけるんじゃなくて、子どもたちと一緒に学び合うわけですね。
 そして、生徒の「他人との違い、個性や意欲を否定するところからではなく、それを認めようというところから教育が始まる。アメリカではそうだ」(民主党委員の発言)という話が先ほどありましたけれども、全くそのとおりだと思う。その生徒の持っている持ち味を認めていこうとする教育でなければ、おまえはほかと違うんだからだめなんだという教育の流れの中で、こういうことも起きてくるということもいわなきゃならない。

 私は、卒業式、入学式、先ほど晴れの舞台というお話もあって、それを本当に実現するために、子どもたちを中心に関係者が考えていく、学校ごとに違っていいということは、余りにも当然のことで、これがなぜこのように一律な形になってしまうのかが不思議でなりません。
 今でも私たちの身近には、心のこもった式にしようということで、例えば、入学生や卒業生に対して、それをお祝いする在校生や父母が向かい合って行う対面方式など、いろいろ工夫する学校もあります。
 しかし、今度の指針では、それは許されません。全部が国旗に向かって座らなければならないというふうにされております。そういう工夫や努力を行政の名で指針が踏みにじることになります。これはまさに教育基本法でうたわれている許されざる教育への不当な支配そのものになるということを厳しく指摘します。
指針は撤回して、学校行事の運営はあくまで学校現場で、校長を初め教職員、父母が合意できるもの、何より子どもたちが主人公として大切にされることを最優先に行えるよう、都教委が介入したり、区市町村の教育委員会に自分の考えを押しっけたりしないように強く求めて、質問を終わりたいと思います。

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