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2004年5月27日文教委員会
教育基本法改悪反対・日の丸君が代おしつけ反対請願を審査


○東委員長 次に、請願陳情の審査を行います。
 初めに、請願一六第一○号を議題といたします。
 理事者の説明を求めます。
○松田参事 請願一六第一○号、教育基本法の「改悪」反対の意見書提出に関する請願についてご説明申し上げます。
 請願一六第一○号は、八王子市、小池裕敏さん外から提出されたものでございます。
 請願の要旨は、東京都議会として、国に対し、教育基本法の改悪に反対する意見書を提出していただきたいというものでございます。
 これに関します現在の状況でございますが、教育基本法制定から五十年以上が経過する中で、社会状況は大きく変化し、また、教育全般についてさまざまな課題が生じておるような認識の今日、教育の根本までさかのぼった改革が求められております。
 このもと、文部科学大臣の諮問を受けた中央教育者議会は、平成十五年三月、新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興計画のあり方について答申を行いました。
 答申では、教育基本法にうたわれている個人の尊厳や人格の完成などの理念は普遍的なものとして今後も大切に維持しながら、今日的状況の中で極めて重要であるにもかかわらず現行法には明確に規定されていない、家庭の教育力の回復、学校、家庭、地域社会の連携、協力の推進、公共に主体的に参画する意識や態度の洒養、日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心の涵養などの理念や原則を新たに明記するべきであるとしております。
 国においては、この答申を踏まえまして、全国各地で教育改革タウンミーティングを開催するなど、教育基本法改正に向けたさまざまな取り組みを進めているところでございます。
 なお、中央教育審議会答申に示されました方向性や理念は、都教育委員会の教育目標や現在進めております教育改革の方向性、これまでの取り組みと軌を一にするものであると考えております。
 説明は以上でございます。よろしくご審議のほどお願い申し上げます。
○東委員長 説明は終わりました。
 本件について発言を願います。
○曽根委員 それでは、教育基本法の改悪反対ということで都議会に意見書提出を求める小池さんという方の請願について、これはぜひ採択をお願いしたいという立場から質問いたしますが、小池さんという方に連絡をとったところ、もう既に東京都の教育委員会の方にも請願を行っているようです。そういう意味で、この問題について深い関心と危倶を持って出されたものだと思います。
 そこで、これに関連してお聞きしたいんですけれども、ここでいわれている昨年三月の中央教育審議会答申に示された法改正についての提案、その内容と、また、改正が必要だという理由はどういうものでしょうか。簡潔にお答え願います。

○松田参事 昨年の三月、中央教育審議会は、新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興計画のあり方について文部科学大臣に答申を行いました。教育基本法は、施行以来、一度も改正されないまま半世紀余りが経過しておりまして、この間に、社会状況も、また教育をめぐる環境も大きく変化し、教育全般にさまざまな課題が生じてきております。
このため、同番議会の答申では、現行法にうたわれております個人の尊厳や人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者などの理念は普遍的なものとして今後とも大切にしながら、今日的状況の中で極めて重要と考えられます家庭の教育力の回復、学校、家庭、地域社会の連携、協力の推進や、公共に主体的に参画する意識や態度の涵養、日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心の洒養などの理念や原則を新たに明記すべきであり、教育の根本にまでさかのぼって改革を進めるために、教育基本法の改正は欠くことのできない一歩であるとしております。

○曽根委員 横山教育長は、審議会委員としてこの審議会に参加をし、昨年の第二回定例会で、答申の方向が都の教育施策、教育改革と軌を一にしており、教育基本法改正を期待しているというふうに答弁されていますし、先ほどもその趣旨の説明がありました。
 中教審答申の提案する基本法改定の方向と軌を一にしているということは、つまり、東京の教育改革というのは、教育基本法をそのとおり尊重するというものではなく、もうそれを踏み越えているんだということを認めることになりますが、いかがでしょうか。

○横山教育長 教育基本法見直しの議論といいますのは、別に中教審に限らず、先に教育改革国民会議の中でも種々議論をされてまいりました。そうした中での意見というのは、主として、教育基本法を否定するものではなくて、教育基本法制定以降の、国際化であるとか、あるいは情報化の進展等の社会情勢の変化、それから、子どもたちをめぐります家庭、学校、地域、社会の教育力の低下、こうしたことを背景としまして、新たに盛り込むべき事項、あるいは明記すべき事項についてこういう観点から検討がなされてきたものと私は理解をいたしております。
 都教育委員会としましても、教育にかかわる問題が待ったなしの、まさに喫緊の課題であることから、平成十三年一月に、ただいま申し上げた教育基本法をめぐる議論の動向などを踏まえながら、教育目標及び教育方針を改善しまして、教育の正常化に向け諸施策に取り組んでいるところでございます。

○曽根委員 今までのものは否定していない、それに加えるものなんだという議論だから、否定はしていないんだということですが、私が聞いているのは、教育基本法をそのまま尊重するというのではなくて、踏み越えていくんだということになるんじゃないかということなんですが、つまり、これまでの教育基本法の理念と、新しく加えられようとしている、先ほどご説明があった、家庭の教育力というのはともかくとしても、日本の伝統、文化の尊重や国を愛する心というものとが矛盾をするんだという意見も多くあるわけです。
 したがって、それを現実に東京の教育改革の中に盛り込んでいるとすれば、それはやはり現行の教育基本法から踏み越えるということになりますが、そのこと自身を教育長は踏まえているということでよろしいんですね。

○横山教育長 教育基本法そのものはわずか十一条の法文でございまして、この十一条の教育基本法各条文の解釈というのはいろいろございまして、いろんな教育論議の中でもその条文の解釈の中で適用してきた、こういう事例が多いわけで、その辺の矛盾が非常に多く上がってきている。
 例えば日本の伝統、文化の条項、これは条項がございませんが、そういった議論、あるいは国を愛する心、そういった面の醸成、これは基本的には、教育基本法を踏まえた学習指導要領というものが現実の学校の現場での指導基準になっているわけで、ここには明記をされているわけです。しかも、その学習指導要領なるものは、これは判例でも法規性を有するという規定もされております。教育基本法を踏まえた学習指導要領に基づくものでございますから、決して教育基本法を超越しているとか、その精神の流れの中で都の教育施策が行われている、こういう理解でございます。

○曽根委員 その流れの中でやっているといいながら、それではなぜ、三年前に、東京都の教育目標と教育の基本方針の中からわざわざ、それまで明記されていた憲法と教育基本法の精神にのっとりという言葉を削除したんですか。

○横山教育長 都教委が東京の教育をどういう方向性で打ち出していくか、実施をしていくかという検討の中で、憲法あるいは教育基本法を踏まえてという文言そのものは、私ども教育行政を担う公務員ですから、当然の話であって、そういった教育目標という短い文章の中で都教委としての方向性を出す場合に、あえてそのまくら言葉をつける必要はないという判断から、非常にわかりやすい形で目標を設定した、こういうことでございます。

○曽根委員 今まであったものをあえて削除したわけですから、やっぱりそれなりの意味があるというふうにいわざるを得ない。教育長が今踏まえているとおっしゃっても、その後の経過を見て、実際に進めている都の教育行政を見れば、教育方針の中に憲法や教育基本法を掲げていることと、今東京都の教育委員会がやっていることとが余りにかけ離れているから削除せざるを得ないという実態が私はやっばりあると思うんです。反論があったらいってほしいんです。

 それから、教育ビジョンはこの次議論しますけれども、教育ビジョンについても、これだけ長い文章を書きながら、私、ざっと読ませてもらいましたが、教育基本法また日本国憲法という言葉すら出てこないんです。中の条文も出てきません。全く出てこないんです、教育ビジョンの中に。踏まえているのは当然だから書かなかったんだということじゃ、ビジョンの中身からして済まない問題だと思います。

 具体にちょっと聞きたいんですが、例えば、三年前に、東京都の教育目標の中に「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会を生きる日本人の育成」というのを書き込みました。これは当然、昨年ですけれども、中教審答申の新たに教育基本法の改正で加えられるべき方向ということと同一内容ですので、時間的にいえば先取りして、それまでの議論の中で、特に日本人の国を愛する心というか歴史や伝統、文化の尊重ということを入れたということで理解してよろしいですね。

○横山教育長 もう少し日本で行われている教育の法体系そのものの前提でご議論願いたいんですが、教育基本法を踏まえた学習指導要領が策定をされ、これは法規性を持つとされている。その学習指導要領に基づいて教科書の検定制度がある。その検定された教科書の中から採択をしていく。こういう全体の教育の法体系がございます。
 今委員がおっしゃった日本の伝統、文化の尊重、あるいは国を愛する心の涵養、醸成というのは、今申し上げた学習指導要領には従前から明記をされている事項でございます。
あえて、教育基本法の議論をそのまま持ってきて、都の教育目標に明記をしたということではございません。

○曽根委員 一般論としては、日本を愛する心や郷土や文化を愛する心を育てることは、教育目標として掲げるのは何の問題もないわけです。学習指導要領の中にだってそういう文言が恐らくあるでしょう、私、全部読んだわけじゃないけれども。しかし、東京都の教育目標から方や日本国憲法と教育基本法という文言を外しておいて、同時にそのときに、今回中教審答申で教育基本法に加えるべきと出された伝統、文化や郷土、国を愛する日本人の育成ということをあえて入れたということに大きな意味があるというふうに考えざるを得ないわけです。

 現実に、今回、職務命令を含む実施指針を出し、それに従わない教員の処分にまで教育庁は踏み切りましたが、これはまさしく、国旗・国歌として法制化された日の丸・君が代を、日本人のアイデンティティーというか、平たくいえば愛国心の象徴として学校の行事や授業で指導を徹底したいから、素直に受けとめればそういうふうになりますよね。
 したがって、教育目標に日本を愛する心の育成ということが書き込まれた以降の、特に今回の実施指針の実施ということを見れば、その結果おのずと具体的な政策としてあらわれているといぅふうに考えるのは当然だと思うんですが、いかがですか。

○横山教育長 今回の卒業式あるいは入学式をめぐる国旗・国歌の問題というのは、国旗・国歌法が法として制定をされまして以降、やはり学校の現場で非常に混乱が起こっている。
一方で、私どもが教育行政を担う者として踏まえなければならない学習指導要領には、国旗・国歌の問題についての扱いは明記をされている。詳細な扱いが明記されているわけではございません。あくまでも私どもは、教育課程の適正な実施、これを担保する責務を負っているわけで、あくまでも今回の国旗・国歌の問題といいますのは、適正な教育課程の実施、この一語に尽きるわけでございます。

○曽根委員 それは日本人の国を愛する心を育てる教育と無関係なんですか。無関係だとだれも考えられないじやないですか。いかがですか。

○横山教育長 教育全体の中で国旗・国歌というものをどういうふうに位置づけるかというのは、学習指導要領をお読みになっていただければおのずからわかるわけで、全く無関係とは申しておりません。今回の国族・国歌の問題、いろいろマスコミ等でイデオロギー的な問題として取り上げられておりますが、私どもはあくまでも、学校教育の現場において教育課程を適正に実施する、こういうことでいろいろな対応措置をとったわけでございます。

○曽根委員 だれが考えても、日本を愛する心ということが教育目標に入り、そして、その後、いわば最も大きな具体化としての今回の日の丸・君が代の扱い、国旗・国歌としての実施指針だというふうに受けとめざるを得ないと思うんです。

 教育長はあくまで学習指導要領に基づくものというふうにいいますが、学習指導要領ではもちろん一般的な規定しかないわけで、それをここまで具体的にしたというのは、やはり今回の教育方針があり、それから、昨年春の中教審答申があったからだと思います。

そういう点で、今都立の学校で起こっていること、つまり、全員日の丸に向かって座らされて、先生が君が代を起立、斉唱しなければもちろん処分ですが、生徒が起立、斉唱しなくてもやはり担任の先生が責任を問われて、私から見れば、見せしめの厳重注意を受ける。

 まさにこの息苦しいありさまは、私は、都教委が誇りある日本人の育成というのを学校の授業や行事で徹底指導させようとしている一つの大きな姿にほかならないと思います。
 今、この理念が教育基本法改定で明文化をされようとしているわけです。
 つまり、中教審の提案の方向で基本法が改定されれば、東京の学校で今起きていることが、今度は、法律に基づいて公然と日本じゅうの学校に広がることになる危険があります。
 知事も、これは教育政策連絡会でしょうか、五年後、十年後は、今首をすくめて眺めている全国の自治体が東京のまねをすることになるだろうとこの問題について発言をしているわけであります。
私がいっているよりも知事がいっている方が、はっきりこの方向が示されているんじやないでしょうか。
 私は、東京の教育がこんなものを全国に広げるとすれば、東京の教育の歴史に重大な汚点、取り返しのつかない汚点をつくることになると思います。
 教育基本法の改定案には、もちろんこの問題以外にも、例えば国が教育内容に具体的に介入できる振興計画の問題など、請願者がいっているように問題は山積していますけれども、日の丸・君が代の強制をめぐるこの間の都のやり方だけを見ても、提案されている基本法改定が何をもたらすかは明白であり、我が党は、多くの都民世論とともに、断じてこれは認められないという立場を申し上げておきます。

 そして、請願の採択を主張いたしますが、もちろん、この問題では既に各会派、政党の政治的立場は決まっていると思います。しかし、この間の事態を踏まえて、私は、この問題については、引き返す勇気が必要だ、現実に東京の学校で起きている事態を見てほしい、これが学校教育のあるべき姿なのか、子どもたちが本当に安心して学べる学校の姿なのかということを見て、引き返す勇気を持っていただきたいということを心から訴えまして、質問を終わります。

●「日の丸・君が代」おしつけ反対の請願について

○村上委員 教育長の力強い感動に私も賛同いたします。今後も、日本人としての誇りと責任を持つという意味からも、また、国を愛する心を育成することが大切だという立場に立って、積極的に取り組んでいっていただきたいとお願いしたいと思います。
 以上です。

○曽根委員 最初に、今のお話、無関係じゃないどころじゃないじじゃいですか。今の村上さんの質問。私の質問に何でちゃんと素直に。無関係じゃないどころじゃないじゃないですか、今の話は。
 まさに日本人の心を育てるために、最も大事な儀式で日の丸・君が代を国旗・国歌としてちゃんとやれということでしょう。そのとおりだと答えているわけじゃないですか。まあいいです、本音がちゃんとわかったから。

 先ほどもちょっと、ある意味ではこの間題にも触れたわけですけれども、改めて、今回、同じ方なんですけれども、請願が出ている。それで、私、いろんな問題がこの間題には含まれているので、少しこの請願者の趣旨に沿ってただしてみたいんですけれども、まず、卒業式や入学式というのは、都の教育委員会も繰り返し、子どものため、子どもにとって晴れの舞台、最も重要な儀式的行事というようなことで、子どものためということをいいながらも、実際は都教委が指示したとおりの形式を押しつける。その中心は日の丸・君が代の扱いになっているわけで、これが実態として卒業式や入学式をどういうものにしているのかということがまず第一の問題だと思います。

 そこで、私、ある集まりで都立高校の先生が話していたのを聞いたので、その例をちょっと紹介しますが、これは都立の高校の先生で、今までは、基本的に日の丸・君が代は国旗・国歌として認めていいんじゃないかと思って、自分は立って歌ってきた。しかし、今回、指針でこれは職務命令として強制されるということになった。そういう考え方は、私は従えないので、今回立つのをやめた。立っのをやめただけで、黙って座っていたわけですけれども、式のときにはそこに副校長が来て、何々先生、立ちなさいと大声で恫喝された。周りを見ると、周りはみんな下を向いていたということで、私、式の雰囲気はまさにぶち壊しになるなと思います。なぜ恫喝しなければならないのか。

 それから、これは朝日新聞の読者の声欄に載っていたんですが、これは中学校の先生ですから、盛らく東京都と同じような指針を出した市町村の先生だと思いますけれども、三月の卒業式では、会場の体育館の舞台正面に昨年まで飾った大きな卒業制作の絵が今回は両わきの壁に追いやられた。正面には日の丸と市の旗を張るようにと通達が出ていたからです。卒業生は残念がりました。卒業制作を担当した私に、どうして正面に張ってくれないのか、校長先生にいってとすがりましたが、私は何もしてあげることはできませんでした。こういう声があるわけです。
 私、子どもを中心に、そして、本当に子どもの門出を祝う、もしくは入学を祝うということで奉るならば、こういう形式になぜこだわらなきやならないのかということが第一に問題だと思うし、式の雰囲気は子ども中心になっていないというふうにいわざるを得ないと思うんです。
 さらなる疑問は、生徒が自主的に立たなかったり、教員が憲法上の権利として良心の自由があることを説明するなどが学校教育の一環として行われていて、これまでは都の教育委員会も禁止などはしていなかったのに、今回の指針が出てからは、これを認めないということで担任など教員を調査し、または注意処分にするということです。
 なぜ日の丸・君が代に限って、生徒のしたことが理由のいかんを問わず教員の責任になるのか。また、そのことを、教員を呼び出して、七生養護学校でもありましたけれども、尋問をしたり厳重注意を行う権限が都教委には本当にあるのか。この点についてただしたいと思います。

○近藤指導部長 教員は職務として、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について適正に指導する責務がございます。国歌斉唱時に多くの生徒が起立しないということは、学習指導要領に基づいた国旗・国歌についての指導が適切に行われていなかったといわざるを得ません。したがいまして、入学式、卒業式で多くの生徒が起立しなかった学校においては、当日までの国旗・国歌の指導の状況などを調査項目といたしまして、都教育委員会が地方教育行政の組織及び運営に関する法律などに基づきまして事実確認等を行ったところでございます。
 また、生徒の不起立等にかかわる教員につきましては、学習指導要領に基づいて国旗・国歌の指導を適切に行うよう注意、指導を行うものでございます。

○曽根委員 近藤指導部長は先ほども、この問題については、強制するとかしないとかではなく、学習指導要領に基づく教育上の課題の問題なんだというふうに説明をされましたし、今の答弁もその趣旨に沿ったものだと思います。
 しかし、実態は、一連のやり方は明らかに強制なんです。なぜかといえば、この国旗・国歌に対する問題というのは、これを法制化するときの国会質疑でも明らかなように、国民一人一人の思想信条の自由にかかわる問題だからです。これは教育上の課題としてのみ扱われることはできない、それが済まされない問題だということなんです。

 例えば、仮にある生徒が、小中学校までは余り意識せず素直に歌ってきたけれども、国旗・国歌法のいきさつや憲法上の権利の問題であることを自覚して、改めてみずから起立、斉唱を拒否した場合、これは、前の委員会の際に、その生徒に対してそれ以上起立を求めることはできないことは確認いたしました。
 しかし、生徒が自覚して起立、斉唱を拒否した場合、都教委によれば、学習指導要領に基づく教育課題の指導のおくれということになる。そうすると、教育者の側は何らかの責任が問われるということになるわけで、今の扱いはまさに、憲法上の権利を生徒が行使したことに対して、教育者の側に指導上のおくれという責任を負わせるということになりますよね。つまりは、憲法の権利の行使をそういう意味で制限することになりはしませんか。

○近藤指導部長 先ほども申し上げましたように、教員は、教育公務員としての身分を有してございまして、法令や学習指導要領に基づきまして教育指導を行う責務がある者でございます。

○曽根委員 それでは、教育指導を行う責務がある教員が、生徒が憲法上の権利を行使する・・例えば板橋高校ではこういうことがあったんです。
 生徒が最初立たなかった。国歌斉唱という名乗りが上がったときに、生徒たちは着席をした、ほとんどが。それで、そのときに、校長か教頭が立ちなさいというふうにいったら、これは来賓の都議会議員の人が立てというふうにいったら、思想信条の自由があるだろうという声が生徒の席から出た。そこで、教頭先生は、信念を持って座っている者以外は立ちなさいといったんです。これは事実ですから間違いないと思うんです。そうしたら、ほとんどの生徒は立たなかったんです。つまり、信念の表明になったわけです、その瞬間に。
 そのことについて、生徒が信念の表明として、これは教頭先生もいったわけですから、その場で確認をされたわけです。その行為が今担任の先生の責任として問われて、指導処分なんかが出ているわけです。
 そうすると、生徒自身が憲法上の行為をみずから実行すると先生を傷つけることになる、職務上。こういう矛盾は必ず起きるわけですよね。どちらが重要な権利なんですか。

○近藤指導部長 この春行われました卒業式等については、ほとんどの学校で生徒が起立をいたしました。しかし、残念なことでありますが、一部の学校では、ほとんどの生徒が立たなかったという事実があるわけでございます。これは、教育の機会均等、子どもが学習指導要領に基づいた適正な教育を受ける権利そのものを私は奪うものではないかと考えております。したがいまして、ほとんどの生徒が立たなかったということは、やはり教員がそこにおいて学習指導要領に基づいた適切な指導を行わなかったといわざるを得ないと考えております。

○曽根委員 教育の一つの課題としてしかとらえないから、そういう機械的な、教育の機会均等だなんて全くちぐはぐな答弁が出るのであって、国旗・国歌に対する生徒の態度というものは、例えば科学の法則や数学の定理に対する生徒の態度とは違うんです、明らかに。
 科学の法則や数学の定理に対しては、正しいもの、正しくないものというのは明確なんです、学問上も。そして、教育上も明確です。しかし、国旗・国歌に対する態度というのは、これは国民の権利にかかわるもので、たとえ未成年の子どもたちであっても権利として認められるというのが当然のものです。
したがって、これについては、そこまで強制できない以上は、教育上の義務を先生に課すことは、事実上、生徒の心を縛ることになる。そこを多くの方々が、しかも、国旗・国歌を掲揚し斉唱することを否定しない、それを認めるという人たちさえも批判しているのはそこなんです。
 生徒に強制はできないはずだということを例えば朝日の二十六日の記事でもいっていますし、きょうの朝日の社説でも、学校で何より大切なのは、子どもたちがみずから学び、みずから考える力をつけることじやないか。生徒の自主性や個性を認めないやり方は好ましくないと私たちは考える。先生への処分を振りかざして生徒に何かを強制することがこの東京都の教育目標にかなっているとは思えないと、全く真っ当な意見を、朝日はこれで七回目ぐらいの社説になるのかと思いますが、この旨出しているわけです。
 さらに、これは三月の末ですけれども、TBSの「報道特集」でも、国旗・国歌法の制定当時の野中官房長官が、内心の自由を侵してはならない、教育への押しつけはしないという国会答弁をしている場面を映し出して、内心の自由を侵す都の教育委員会のやり方のひどさを述べる先生方のインタビューを放映しています。NHKも含めて、テレビの放送でも非常にこの問題は批判的に報道されているわけです。
これらの声について、私、今回処分がまた強行されましたけれども、都の教育委員会は厳しくこの間題を受けとめて、反省すべきだと思いますが、いかがですか。

○近藤指導部長 何度も繰り返し申し上げますが、学校の教員は、学習指導要領等に基づきまして教育活動を適正に実施するのが役目でございます。先ほど学習指導要領という話がございましたけれども、学習指導要領は、そこに示されている内容は必ず子どもたちに指導しなければいけない内容でございます。この学習指導要領の中には、もちろん国旗・国歌の内容も入っておりますし、掛け算九九の問題もありますし、歴史の問題も入ってくるわけでございます。そうしたことを学習指導要領に基づいて指導することが教員の責務なんです。
 以上でございます。

○曽根委員 私はさっきから、指導の結果として、生徒が信念を持って立たなかった場合を聞いているんですが、それには一切お答えできない、答えられないということがわかりました。
 ほかの掛け算九九と同じにしてしまう近藤指導部長のその答弁、教育内容を指導するという非常に教育行政の中でも学校の教育内容にかかわって、いわば上からの押しつけや何かではなくて、指導助言という形で、現場で頑張っている先生方を励まし、そしてアドバイスするという立場からの仕事が求められている部長として、こんな機械的なやり方で、しかも、最終的には事実上の処分です、指導、厳重注意といったって。傷が残るわけです。
こういうやり方を断じて認めるわけにはいかないし、この方向が進んでいけば、教育基本法の改正というのはまさにこれを全国に広げることだということを改めてもう一度申し上げたいと思います。
 終わります。

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