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ついにここまで来た・・!教育をめぐる激流の中であえて掲げる、子どもと教育のはた
◎新しいコーナーをつくるにあたって・0716

障害児教育が理不尽な調査を受けている!

 ●「ついにこのときが来たか・・」そう思ったのは、つい2日前に教育庁の職員が「プレス発表する」と持ってきた資料に目を通したときです。
 それは7月2日都議会本会議の議員質問を受けて、教育庁が都立七生(ななお)養護学校を調査した結果の報告と、これを理由に養護学校の運営について調査委員会をつくって、全養護学校を調査するというものでした。

● そこでは、「教科書として不適切とされた教材が使われ」ていたり、性器の名前が出てくる「ゆき過ぎた」歌詞の歌を歌わせていたり、指導計画とも違っていたなどの理由で性教育の内容が「不適切だった」と断定されていました。
 さらにどういうわけか休暇のとり方の問題、学級編制・教員配置の問題、寄付の扱い方まで調べて、前校長時代に問題があるという趣旨になっています。しかもこれから全養護学校55校を15日からの3日間で調査に入るというのです。
 なぜかプレス発表当日の朝刊に詳しく報じた産経新聞には、この前校長の処分も検討中ということまで書かれていました。
 
● 元になったと思われる民主党議員の一般質問は、私が都議会に来て以来、最悪・最低の質問で、都議会の歴史を汚す恥辱的なものだと思います。かれは性教育、それも障害児に対する教育内容に土足で踏み込むようなやり方をしたのです。彼が質問を終えて議席に戻るとき、自民や公明の席もしんとしたまま。同じ民主党の席からも拍手は数名がしただけ。私は「議員として恥ずかしくないのか。授業の中身まで踏み込んで、どうするつもりなんだ」とやじを投げつけました。
 この議員は、まず性器の名前が出てくる「からだうた」という歌をやり玉に挙げ、次に男女の人形を「性交人形」だといって、写真パネルで壇上から見せました。これにこたえて知事も「あきれ果てるような事態」と言い、教育長は「とても人前で読むことがはばかられるもの」などと答弁しました。
 ところがこの「からだうた」というのは、頭からつま先まで、くび、かた、おっぱい、おへそなど、つぎつぎと体の名称が出てくる中に、男性と女性の性器の名前が一回ずつ出てくるだけなのです。しかも性器の名前は、小学生の保健の教科書に出てくる名前と同じです。これが人前で読めないなら小学生の保健教科書もつかえないことになります。人形も「性交人形」などと意図的に呼ぶのは議員自身で、教育現場ではそんな呼び方はもちろんしていません。

● この程度の歌詞をつかったり、人形などを理由に指導部が乗り込んで調査するというからには、よほど非常識または異常なやり方をしたのかと思えば、そのような事実はまったく報告されていないのです。
 それなのに教育庁は、この本会議質問を受けると、性教育問題で30人以上の指導主事が七生養護学校に押しかけ、90人近い教員が一人ひとり尋問されて記録も質問も一切認めないというやり方、さらに学務担当、総務担当、人事担当職員も相前後して押しかけて、総勢50人ぐらいが乗り込んで調査しており、その様すを想像すれば、まるで戦前の暗黒社会の思想調査そっくりという印象です。

● 障害児の性教育が、性器を人前で出してしまったり、性欲に任せて他人を傷つけたりしないためには、本人にとって不可欠なものであること、また授業内容も、子どもの障害ゆえに通常の学校より具体的で立ち入ったものにならざるを得ないことは、部外者の私でも容易に想像できるものです。つまり障害児に対する性教育は、通常学級における性教育より、個々の授業だけをみても一般の人には理解しにくいだろうと思います。
 考えたくないことですが、もしそのことが今回の質問やそれを受けての調査に意図的に利用されたのだとしたら、それは政治家として教育行政マンとして、なにより人間として最低の卑劣な行為と言わなければならないでしょう。

● しかも、養護学校での教員のクラス担当の配置まで都への届出どおりだったかを詳細に調べて、違いを問題にしているようです。
 私も現場の教員から「重度重複の障害児の人数を申請しても都が認めないので学校段階で押さえ込まれ、重い障害の子どもに必要な教員が配置されていない」との訴えを繰り返し聞き、とりあげたことがありますが、都の答えは「予算の範囲内で適切に対処」というものでした。
 実際に重度重複障害の子どもがそれにふさわしい定数や教員のクラスに入れないでいるときに、現場の教員が、都に認められたクラスだけ手厚く教育できるでしょうか。
 私が教員なら子どもの障害の実態に合わせて現場でやりくりせざるを得ないと思いますが、もし今回それを理由に都がみずから教員配置をサボってきた責任を現場に転嫁しようというのなら、都の卑劣なやり方を絶対に許すことはできないと思います。

● 「あのときが教育にとって本当の逆流の始まりだった」と言われないよう、私はこのコーナーで、できるだけタブーにとらわれず、率直に子ども中心の教育をめざす旗をかかげて、さまざまな話題にふれていきたいと考えています。

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