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はじめ通信・子どもと教育の旗1111
「ついに正体をあらわしたか」の思いで読んだ雑誌「正論」の投稿

●雑誌「正論」の最新号に、野牧雅子という女性教師が、性教育の取り組みに対する敵意に満ちた非難の文章を載せているのを、「ああ、ついに正体を現わしたか」との思いで読みました。
 前半に書かれた性教育運動とのいきさつの部分は、私自身は直接知っている問題ではありませんが、率直にいって教育者としての「品位」とか「倫理観」などとは程遠い文章にしか読めませんでした。

●しかも、ごていねいに文章の終わりのほうに、私との電話のやり取りまで紹介しています。
 「ホームページの記事について、聞きたいことがある」というので電話すると、最初は今回の性教育問題とはべつの記事のことを質問してきて、答えていると、やおら七生養護のことに話題を移してくるというやりかたでした。
 彼女が電話のやり取りで都合の良い部分を勝手に切り取って要約した内容についても、「正論」という雑誌に投稿することも、もちろん事前のことわりなど一切ありません。

●にもかかわらず、文章を読むと、彼女が七生養護の教育実践に対して、自分の側の(それも都教委とそっくりの)価値基準で一方的に断罪していることがありありとわかる気がします。
 たとえば「からだうた」という歌の歌詞の一部に、性器の名称がはいっているだけでは、それが「非常識」とか「学習指導要領から逸脱している」とはさすがにならないせいか、低学年にまで「一律に」歌わせていたとか、日常生活でくちずさむおそれがあるなどの「理由」を強調するわけですが、これに対する私の「低学年には性器の別の名称を使うなど配慮しており一律に使ってはいない」という事実の指摘や、教科書に載っている名称さえ、歌にするとくちずさむ恐れがあり禁止というなら、およそ授業の創意工夫など成り立たないという、いわば最小限の常識論にさえ、彼女は自分の一方的な価値基準による決めつけや、「街宣カーで言ってみろ」などの突拍子もない話を持ち出すだけで、まともな反論をしていないこともみてとれると思います。

●しかし彼女はふれていませんが今回の最大の問題は、こうした個々の教材や授業の良し悪しについて、本来行われるべき場での論議をまったく抜きにしたまま、一部の政治家の主張に呼応した都教委の一方的な評価を「理由」として、当事者の処分にまで一気に立ち至ったことではないでしょうか。(実際には正式に処分を受けた七生養護の前校長本人への通告には、処分理由に性教育問題は入っていませんでしたが。)
 私が恐ろしいと思ったのは、もし都教委が七生の性教育の授業を見ながら、その内容について指導主事の通常の指導方法で問題を投げかけていれば、たとえ都教委が今回と同じ「理由」を主張したとしても、処分にまで至ることはありえなかっただろうということです。
 都教委は、いままで長期にわたって一切クレームなどつけてこなかった教育実践に対して、処分という烙印を押すために、現場教員への本来の指導の手順を投げ捨てて”問答無用”で斬りつけるしかなかったのではないでしょうか。

●こうした一連の動きの中に、東京の教育行政における戦前と似通ったファシズムへの匂いを感じてしまうのは、私だけではないと思います。
 また、はじめはノンポリ風に近づいてきて、しまいにこんな文章を「正論」にのせるにいたった彼女に「正体見たり」と感じた私の印象も、まじめに教育を考える多くの方々にはご理解いただけると思います。

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